りんごの花が咲くころ

30年3月に公務員を勧奨退職しました。悠々自適な生活の予定が、まさかのがん発覚、闘病生活へ突入。第2の人生を歩むため別居から離婚を選択しました。今はおひとりさまの人生をいかに楽しむかを追求しています。リタイア。断捨離。ミニマリスト。

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うつ病発症からもう何年?

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うつ病発症からもう何年?

夫は長らく、うつ病を患っています。

最初に発症したのは、平成13年の秋でした。ちょうど、「9.11」の頃です。テレビでの映像が頭に鮮明に残っています。

初期症状

まずは、朝起きれなくなりました。そして、仕事を辞めると言い出したのです。その当時の仕事の部署は、忙しさで群を抜いており、県庁のトップ3に入るような部署でした。

そこで、まず、仕事を休むということを提案しました。以前、病院の外来で「ストレス外来」という表示を見た病院に行きました。残念なことに、専門外来で毎日は診療していないことが病院に行ってわかりました。仕方なく、その病院の分院で精神科を標榜している病院へ行きました。

 

初めての診療

その当時の精神科は、今と空気が違っていました。二人で診察の順番を待つため、外来の椅子に座っていたのですが、明らかに空気が違っていました。そこに通院している患者さんも、話し方が変で、奇声を上げる人もいました。10分か20分か待っていましたが、居てもたってもいられず、病院を飛び出してしまいました。

併設の病院へ駆け込み、神経内科の診療を受けました。その当時、神経内科と心療内科の違いも分かっていませんでした。そこのジ女医先生は、元の精神科へ行くように助言されました。診断書を書くにしても1日しか書けないというのです。少しの押し問答の末、仕方なく元の精神科へ行きました。主人は気にしていないようでした。戻ろうと彼が言いましたので。

戻って30分ほどして、初めての診療が始まりました。先生は男性で、30歳後半ぐらいの先生でした。本人への問診が済むと、主人は待合室へ、私との問診がありました。

多忙な仕事内容、土日なく、深夜までの仕事。そういったことを話しました。

「しばらく休みましょう。1か月にしますか。3か月にしますか。」と言いながら、本人が楽になれる期間を書きますよという趣旨でした。

 

初めての療養

診断は、3か月書いてもらい、病院の帰りがけ、主人の職場に診断書を持参しました。その日は何度も上司から電話連絡がありましたが、行き違いで話ができていない状況でした。病院から私も電話しましたが、そういうことには気が付いてないようでした。

診断書を見せ、簡単な質問を受けて、職場を後にしました。その後の、連絡事項は、当時、職場は違えど同じ庁舎にいた私が窓口になりました。

主人を車に残して職場に行ったのですが、とても嫌がりました。一緒に来ていることは言わないと約束し、何とかなだめて。

それから、家に帰り、「何も考えず、とりあえず、1か月はゆっくり休んで」と言いました。これが後で、大きな影響を与えた発言になるとも思わず。

長くなるので”つづく”

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