りんごの花が咲くころ

30年3月に公務員を勧奨退職しました。悠々自適な生活の予定が、まさかのがん発覚、闘病生活へ突入。第2の人生を歩むため別居から離婚を選択しました。今はおひとりさまの人生をいかに楽しむかを追求しています。リタイア。断捨離。ミニマリスト。

闘病生活

初めての外来診察日:3月8日&次女の卒業式&更新のお知らせ。

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今日は退院してから、初めての外来診察日でした。

時間は、11:30。長女に送ってもらうようにしていましたが、なかなか起きず、家を出るのがぎりぎりになってしまいました。

 

病院までは1時間ほどかかりますので、着いたのは11:35ぐらいになっていました。受付を済ませ、外来に受付表を提出後、椅子に座っていると、5分もしないうちに呼ばれました。

 

初めての外来診察日:3月8日

脇の張りと痛みが変わらないことを伝え、傷口を見てもらいました。傷跡をバンソコウのようなテープで止めていたのですが、シャワーを浴びているとき、少し水が入ったようで、グチュグチュとなったようで、思い切って、2枚のうち1枚を取り外して、きれいなガーゼでぬぐい、そのままにしていましたので、テープも張り替えてもらうようにお願いしました。

 

傷口が褥瘡?のようになっている部分があるので、そこで専門の看護師が呼ばれました。傷口の手当の仕方を教わり、傷口にまぶす粉は帰りに売店で購入するよう指示がありました。止めるテープは次の外来までの間の10枚ほどもらいました。

治療が終わると、診察です。

 

これほど張りと痛みを訴える患者は、10数年来で初めてのことなので、気を付けてみていきますとの説明を受けました。そして、やはり動かさないと動きに制限がかかるし、利き手なので不便になるという話もされました。今は我慢しながら、リハビリをしています。

手術の後の病理検査でも、リンパ節への転移などはなく、再発の可能性は低いだろうとの説明でした。ホルモン療法も痛みが治まってから始めるようです。

 

帰りに入院費と今日の診察分を払い、帰りに売店によって薬剤を購入して帰りました。

 

次女の卒業式。

今日は次女の卒業式でした。病院を出たのは12時を少し回っている時間でした。式が終わるのは、3時半ごろ、長女は待つには長すぎると一度家に帰ると言います。

 

最後なので、私は少しでも見ようと途中おろしてもらい、お昼を食べに、イタリア料理の店に行きました。会員になるとランチの割引があるのですが、今回初めて利用することに。

時間も1時を過ぎていたので、満席でもなく、一人で来ている方も結構いました。

 

スパゲッティランチのデザート付きを注文しました。まず最初に、スープとサラダ、小さいパンにスパゲッティです。今日はベーコンときのこのペペロンチーノでした。

食後、ケーキとコーヒーをいただいて帰りました。

割引後、1200円弱でした。

 

そのあと、卒業式の会場に行くと、途中入場になりましたが、入ることができました。近いほうの入り口近くには、座れそうなところがなく、しばらくたっていましたが、1時間もはつらいといったん出ました。

遠い方の入り口から入ると、いくらか空席がありました。

 

椅子に座って、卒業式を眺めていると、女性はほとんどはかま姿でした。次女は、人に触られるのが苦手で、着付けは無理と言うことで新しいスーツでの出席です。

席は前から2列目で、2階席からも次女の後姿は確認できました。

 

式が終わると、退場も次女たちのグループからだったので、少し間をおいて玄関口に。連絡を取る間もなく、すぐ見つけることができました。迎えは長女に頼んでいたので、公園のトイレに寄り、長女と合流し、いったん家に帰りました。

夕方、また式場近くのホテルで謝恩会があり、次女は長女が来たドレスに着替え、出席の予定です。

 

パールのネックレスは、以前購入していたので、それをつけて後は家族からの借りものです。

ドレスとジャケット、靴は長女から。私はバックを貸しました。

 

今日は1日長女は運転手で、何往復もしているので、そろそろ嫌だと言い出しそう。今、私が運転を自粛しているので、長女しか運転手がいないので仕方なのですが。

 

後は、謝恩会が終わるとその迎えに行くのが最後になる予定です。

 

更新しました。

入院中に驚いた費用は、冷蔵庫だった。

 

 

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